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この話題が本格化すれば「静謐な環境」などあり得ないだろう……そんな想いで皇位継承問題について書いたのが5年前のことである。
今Xを眺めてみると、
「男系は天皇の定義である」vs「愛子天皇こそ正当な後継者だ」
という非常に分かりやすい対立構造でにぎわっている。
ここでは5年前のブログをさらに分解しつつ、両者ともに批判的な姿勢で語ってみたい。
多くの国民が女性天皇を認めているという現実
まず、世論調査を見てみよう。
5年前とほとんど変わっていない。国民の7~8割が女性天皇を認めるという考え方を持っているのだ。リンクの読売新聞でさえ69%が賛成、共同通信になると90%を超えているという結果だ。
5年前と同じことを言おう。この女性天皇に賛成している国民のうち、「天皇とは何か」とか「1500年の歴史」を念頭に置く人はどれほどいるだろうか。あるいは、「女性天皇」と「女系天皇」の違いを理解している人はどれほどいるだろうか。……ということを想像すると、実に怪しい。
「こんなことは偉い人だけで決めれば良い」
という人もいる。実にもっともだと私も思う。本来、浅はかな認識しか持っていない”知的庶民”が口を出すことではないのだ。
ところが、困ったことに、今の天皇は法の下にいる。憲法で規定されているから皇室制度が存在し得るのであり、その憲法を維持するか改正するかの権利は、主権者たる国民が持っているのだ。
たとえ皇位継承問題そのものが皇室と言うひとつのファミリーの話であり、憲法とは直接関係ないとしても、その正当性を認めるかどうかは国民にかかっているわけだ。つまり、「だって男女平等の時代だから」で、女性天皇や女系天皇が認められるようになっても全くおかしくないのだ。
皇室典範改正の”誤魔化し”
今般の皇室典範改正の大義名分はあくまで「皇族数の確保」である。だが、本当の目的が「皇族外からの男系男子の取り込み」であることは公然の事実と言えよう。
まず結婚後の女性皇族にも皇族でいて頂く。さらに養子を取ることができる仕組みを作る。
このルールにおいてバラ色のシナリオは、愛子さまや佳子さまが皇族外の男系男子と結婚し、男子をお産みになることだ。これなら保守(あるいはネトウヨ)の男系固持派と軽薄な直系重視派の両方を満足させることができる。
厄介なのは、養子に取られた男系男子が純粋な民間人女性と結婚した場合だ。男系派はもちろん満足だろうが、問題はふんわりライト勢だ。男系と言う伝統にこだわらないライト勢、中でも、伝統には拘らないが皇室に強い感情移入をしているような国民にとっては、「どこの馬の骨とも分からない民間人が皇室にやってきて、どこの馬の骨とも分からない女性と結婚した」ということになる。そしてその夫婦に男子が生まれたら、その子は皇位継承権を持つことになるのだ。
そもそも「男系」であることの意味は
と言って私は男系固持派でもない。
養子案について、立憲民主党の蓮舫氏が「麻生氏が外戚になり、藤原道長になる」可能性について指摘。それに対して、竹田恒泰氏が「今の天皇には実権などない」と当たり前の反論をした。
蓮舫氏の指摘もかなり頭の悪いものだが、一方でその反論にも注目すべきだ。そもそもなぜ天皇の皇位継承が男系に限られてきたのかと言えば、男が社会の実権を握っていた時代において、他家から一切の男性を採り入れないことによって「乗っ取り」を防ぐためだったとよく言われる。
とするなら、その根拠はそっくりそのまま、今日皇位継承において男系に拘る合理的な理由はないということの根拠にもなる。男系継承は単なる伝統であると男系固持派が言っているようなものだ。
いや、それどころか、というようなことが起きる可能性が高い。
「半世紀前に済ませておくべきだった」理由
5年前の投稿で、皇位継承問題について私は「半世紀前に済ませておくべき話」だと指摘した。
と言うのは、半世紀前なら「元皇族」が健在だったからだ。最後の元皇族だった東久邇稔彦が亡くなられたのが1990年であり、その瞬間に日本には「元皇族」は1人もいなくなってしまったのだ。今存在するのは「元皇族の家(子孫)」であって「元皇族」ではないのである。
これは感覚的にはかなり大きな問題だと私は思う。すなわち、男系血統を持つ男子が皇室の養子に入るとしても、「元皇族」が健在の間に「この方の2代下の子孫」となるか、「民間人として生まれた人しかいない家の男子」となるかでは、国民感情が相当違うだろう、ということだ。
現に今、「(養子となりそうな男子候補は)今上陛下と36親等も離れている」という指摘がある。本来なら、【元皇族からの血縁距離】を考えるべきであることは百も承知だが、元宮家とは言え、臣籍降下してから80年近くも経ってしまった今日、一定の説得力を認めざるを得ない。
天皇はハードウェアなのかソフトウェアなのか
この問題は、「男系堅持vs女系容認」という対立構造でしか語られないために地の足の着かない空中戦になりがちだが、本来の論点は「男系堅持は目指しつつも物理的にどうしようもなくなった際に女系を容認するか」にあるはずだ。
これは言い換えると「天皇はハードウェアかソフトウェアか」という問題になる。なので、5年前の投稿である「貴方にとって天皇とは」という問題に行きつく。
天皇がハードウェアなのかソフトウェアなのかという問題を掘り下げてみる。
例えば、ローマ教皇はほとんどソフトウェアである。カトリックへの敬虔な信仰や人格といった基準のみで選出され、血統も人種も関係ない。一方、天皇におけるソフトウェアと言うのは何よりも国民統合のための象徴であり、そして国事、祭祀、国際親善などだが、これらのソフトウェアは特定のハードウェアでないと動かない。ローマ教皇がオープン規格のIntel+Windowsなら、天皇は閉じた規格であるMacだ。macOSというソフトウェアはMacというハード上でしか動かすことができない。
天皇の役割とは
皇位継承問題を論理で詰めていくには限界がある。ある程度まで論理で語ればその後は価値観のぶつかり合いということになる。では、「天皇」を論理的に分解してみよう。
(1)天皇の役割はまず「祭祀王」であり、その任務は第一に日本と言う国と国民のために祈ることである。
(2)天皇とは日本にとって、国民統合の象徴である。
(3)天皇は対外的にも象徴であり、あくまで政治とは別の文脈で皇室外交を行う
天皇の役割と言えばざっとこんなところだ。文化的イベントは(1)に入るし、いわゆる国事行為は(どうでもいいのだが)(2)ということになろう。そしてこれらが「ソフトウェアとしての天皇」の話だ。問題は、ハード要件である。
天皇がハードだけの存在であれば、鼻くそ食べていようが、セクハラしまくろうが、むしゃくしゃするとすぐ人を殴るクソ野郎であっても「天皇」となるが、実際はそうではない。天皇はしかるべき「ハード」にしかるべき「ソフト」が乗っかってこその天皇であり、私の眼には「ソフト」の重要性が昔と比べて格段に上がっている。
つづく。






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