『笑ってはいけない』の“人種差別”を考える

文化
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大坂なおみのCM炎上問題に触れる前に、以前に書いた記事の引っ越し。


「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安 http://www.huffingtonpost.jp/2018/01/02/history-of-blackface_a_23321243/?utm_hp_ref=jp-homepage

私はお笑い評論家(自称)であり、日ごろから差別を考える人間の一人でもあります。

そんな私にとって、大晦日恒例の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで 絶対笑ってはいけないアメリカンポリス』における黒人差別騒動は絶好のおかずなのです。

知らない方のためにざっと説明しておくと、今回のテーマは「アメリカンポリス」で、冒頭でメンバーがそれぞれアメリカンポリスっぽい衣装に着替えさせられるわけですが、浜田だけはお約束で1人違う衣装に。それが『ビバリーヒルズコップ』の時のエディー・マーフィーだったんですね。

そのエディー・マーフィーに扮した浜田の顔が黒塗りだったため、それが「黒人差別だ」というわけです。

他ならぬ、黒人からのクレーム

これをツイッターで叫んだ、バイエ・マクニールとか言う黒人作家さんは、白人が黒塗りで黒人に扮する大昔のテレビ番組『ミンストレルショー』を引き合いに出して、

半分の私は、日本のテレビコメディーや音楽でブラックフェイスを見るたび、見下されたような、馬鹿にされたような、そして表面だけを見られて、人間性を否定されているような気分になります。

と語ります。さらに、エノケンこと榎本健一を例に挙げ、

知らなかったという言い訳、日本にはブラックフェイスの歴史がないという言い訳は通用しない。ダメなのです

とも。

ミンストレルショーはともかくとして、エノケンって、今の50代でもボンヤリとしか分からない喜劇王ですよ?今の若い人なんてシャネルズすらまともに知らないだろうし、そのシャネルズは、黒人音楽に憧れ、尊敬の念をもって黒塗りし、歌い方をマネていたわけです。

そんな太古の昔のコメディアンを例示して、「知らないというのは言い訳だ」という主張は、ハッキリ言ってまともではありません。

お笑いの解説と言うのはサブいものですが、必要があるので解説すると、浜田だけの特別衣装は今回の場合、アメリカの刑事を象徴し、かつインパクトが強く、浜田がやって面白いものでなければいけません。するとそれは、コロンボでもなくロボコップでもなく、エディー・マーフィーなのです。黒人であることがインパクトを強めているのは確かですが、それは二次的なものであって、「背が高くてハンサムなエディー・マーフィー」に「チンチクリンでブサイクな浜田」が扮するという点が面白さのキモであるわけです。そして、エディー・マーフィーは黒人であることがひとつの大きな特徴である以上、黒塗りは当たり前で、黒く塗らなければ誰だか分かりません。

必要なら黒人を出演させろ???

ところがこのマクニールという黒人作家さんは、解決法として「黒人が必要なら黒人を出せばいい」と言うのです。

はあああっ!?

この人、あらゆるレベルで物事の本質が分かってないんです。必要だったのはエディー・マーフィーであって、黒人ではありませんあの場合のエディー・マーフィーは、「黒人の代表」ではなく、「ハリウッドで売れた刑事モノの主役の代表」なのです。それを無理やり「黒人」と言うことにして問題としてしまうのは、もはや差別ノイローゼとも呼ぶべき思考回路でしょう。そして、言うのもバカらしいですが、あのシーンで浜田ではない誰かを出してどうするの!?

 

13年も日本に住んで何を学んできたの?

氏は、このような日本の笑いを「無知な子供」というニュアンスで否定的に見ているわけですが、彼こそ脳の血管にいろんな不純物が固着して思考停止をきたし、上から目線で「子供だ」と差別的な意識を持ってしまっていることに気づいていないわけですね。

黒人に対する尊敬の念や、エディー・マーフィーに対する親愛の情すら分からなくなってしまっているのです。それが差別のせいであるとするなら、真に差別とは罪深いものだと言わざるを得ません。

私のような意見に対し、一部の人は「日本にだって黒人差別はある」と反論しているのを見かけますが、完全な論点のすり替えです。

日本を含めて、そして黒人を含めて、人種差別は必ずあるでしょう。そこに何らかの差異が認められる限り、差別やいじめがなくなることはないからです。

問題は、今回の浜田の紛争が差別かどうか、あるいは差別を助長するかどうか、です。

断言しますが、このマクニール氏の主張こそが差別の助長に繋がります

反差別が差別を再生産するメカニズム

氏の意見をそのまま受け入れたとしましょう。するとどうなるかというと、今後日本人は黒人を腫れものに触るように扱うことになります。

黒塗りをしてはいけないのなら、エディー・マーフィーに扮することもできないわけですから、そもそもエディー・マーフィーという選択肢がなくなるわけです。

もちろんそれだけではなく、黒人の「肌が黒い」という特徴は、認識できても口にしてはいけなくなります。肌が黒いことが悪い事であるかのように認識し直さなければならないのです

「あなたのクラスに黒人の男の子がいるでしょ?でも絶対肌の色のことは言っちゃダメよ!たとえあなたが羨ましいと思っても口にしちゃダメよ!」

これ、まともな姿でしょうか。

大昔にそんな歴史があったからと言って、黒塗りはダメだと言い出したら、そして人類の未来が無限にあるものと仮定したら、「やってはいけないこと」のリストがどんどん蓄積されて何もできなくなります。ちょうど今の地上波テレビのように、ですね。

もちろん、人類にかつてどのような差別があったかは教養として、知らないよりは知っておいた方が良いに決まっています。ただし過去の黒歴史…あ、この表現ややこしいか、過去の罪深い行為に縛られる形であれもこれも禁止するような倫理観を形成するべきではありません。

「そういう歴史がなかった以上、日本人が鈍感なのは当然で、責めることはできない。ただ、誤解を受ける可能性があるので、理解してほしい」

とでも言うのなら理解もできますが、

「日本人は無知な子供だ」
「たとえ親愛の情があっても、我々が不快と思うものはダメ」

などと言われる筋合いがどこにあるのでしょうか。だったらわざわざ日本に住まなくてもいいし、ガキ使みたいな低俗な番組観る必要もないじゃないですか。

あなたが日本人を子供と見るなら、日本人はあなたを医師が患者を見る目で見ていますよ。

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