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「教育無償化」どこを見るべきか

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とんちんかんな岸田政権の「大学無償化」

目下、パー券問題でそれどころの話じゃなくなってきている感の岸田政権ですが、そっちはそっちで盛り上がって頂いて、こっちはこっちで教育関連のお話を。

これが岸田内閣が打ち出した「大学無償化」策なのですが、結論から言えば、ま~意地でも日本国民のために仕事なんかしてやるものか!という強い意志が感じられてどこか清々しささえ感じられます。おそらく財務官僚が書いたであろうこの大学無償化案は、「無償化」なのに「上限」があり、扶養が同時に3人の状態でないとその対象にはならないので、例えば子供が3人いても一番上の子が社会人になっちゃうと残りの2人は対象外になるというもの。

これが「異次元の少子化対策」ですってよ、奥さん。

どこの誰がこの「こども未来戦略」を見て「よし、子供つくろう!」となるというのでしょうかね。

 

子育てにはお金が必要

改めて申し上げると、子作り意欲にとって最も大きな障害のひとつが「教育・養育のための費用」です。子作りというのは人間の動物としての本能に頼るもので、実利的に言えば社会全体に対するボランティアでしかありません。その子供を育てるのに1人当たり2千万円かかったとしても、経済的にはこれといった見返りもなくお金を拠出して育て上げなければいけないのです。

そのお金が大きな障害になってるんだったら、少なくともその部分は行政が補助できるんだからしてあげましょう、それなら子供を作りたい、あるいはもう1人産んでもいいと思える夫婦も増えるでしょう……という目論見は間違っていないと思います。

そこに「同時の扶養数」というよく分からない基準を持ってくるあたり、実に小賢しい官僚の思考回路が窺えてしまいます。

私の主張はと言うと、かねてから申し上げている通り、所得税(累進課税制)の段階で経済格差はある程度縮小しているのだから、その後はみんな等しくシンプルな同一ルールを敷けばいいでしょ、というものです。

例えば、1人目が産まれたら1000万円、2人目が産まれたらさらに1500万円、3人目が産まれたらさらに2000万円、何らかの形で経済的に補助してあげればいいじゃない、というやり方です。

 

高校なんて要らない!?

東京都が来年度から私立高校を含む全ての高校の授業料を実質無償化することを決めたそうです。これに「小池さん、ありがとう!」と称賛する声もあるようですが、税収が有り余ってる東京都が大阪の後追いでこれをやってるだけなのに何が「ありがとう」だ……という話はここではしません。

ここで注目したいのは、この政策に大反発しているホリエモンです。

記事から抜粋します。

高校に行かなければ、就職ができないとかわけわかんない。そういうことで学校を選ぶの、マジ止めてほしいんですよね。それに我々の税金が使われるって本当に腹立つ

何かモヤモヤしませんか?でもうまく言語化できませんね?

では代わりに私が明確にして差し上げます。

ホリエモンは、「貧乏人でも子供が作れるようにする、あるいは貧乏人の子供でも学校に行けるようにするという少子化対策(社会福祉の問題)」と「今の学校の在り方はこれでいいのかという教育制度改革(学歴社会の問題)」の話をごっちゃにしているのですよ。

学校の在り方についての疑念という点では、私も心からホリエモンに共感します。しかし教育無償化という政策は、いずれ学歴の話にも発展するであろうけれども、さしあたっては少子化対策であり、社会福祉のお話なのです。とにもかくにも、今は猛烈な勢いで進む人口減少を穏やかにしなければいけない。なんせ出生率1.3程度なんて、「あっという間に国が亡びる」レベルの数字ですからね。とりあえず0.5ポイントは増やせそうだから頑張って1.8まで上げましょうよ、と私はかねてから主張しております。

 

「学歴社会」はなくせるか

んで、次に学歴社会のお話をしましょう。

ホリエモンの言う通り、私も学校の在り方についてはもう何十年も疑念を持ち続けている一人です。具体的には、

●学校を積極的に統廃合しつつ、学力別授業を本格化
●「学年」を廃止してカリキュラムの全てを「単位」に統一
●企業の「新卒一括採用」という慣習を撤廃
●「学歴」ではなく「学力」や「思考力」を測るためのテスト実施

などです。

過去の記事にも書いてあるので、詳しくはここでは触れません。とりあえずここでは、「学校って何のために行くものなのか」を皆さんに考えてほしいのです。

「学校なんて行く意味がない」というホリエモンの極端な考え方とまではいかずとも、相当な時間の無駄遣いをしているのではないかと主張する人は他にも結構いるものですし、これを読んでいる人の中にも「学校で教わったことなど憶えていない」という実感を持つ人はかなりの割合でいらっしゃるでしょう。

仮に貴方が大卒者だとして、「大学に行った自分」と「大学に行かなかった自分」を比べてどちらが賢いと思うでしょうか。もちろん、大学に行かなかったとしたら、その分何かはしていたわけで、その何かはおそらく仕事でしょう。ifを考えても、その時に就いたであろう仕事なんて分かりませんから、単純に比較はできないでしょう。が、少なくとも私にとって大学は「4年間の長期休暇」でしかありませんでした。その長期休暇に意味があったかどうかを考えることに意味はあっても、その4年間高い授業料を(親が)払って大学に在籍している意味はほとんどなかったと思います。あ、ちなみに三流の私大文系です。

 

「社会への入場券」としての学歴

では、我々はなぜ学校に行くのでしょうか。大して意味もない大学に入学してお金と時間を無駄遣いするのでしょうか。

それは、学歴が「社会への入場券」になってしまっているからです。

就職するにあたって企業は、当然ながら就職希望者のスキルを測るわけですが、その前に「高校を出たのか、大学を出たのか」「どの学校を出たのか」で一次審査してしまいます。つまり「何を学んできたか」の前に「どの学校を出たのか」で篩にかけられてしまうわけですね。「何を学んだか」「何ができるか」を審査してもらうのはあくまでその後の話。

では、どういう就職方式が良いのかという細かい話はこれまた過去にもしているので割愛するとして、実質的に価値のない学歴に価値を与えてしまっているのは企業群だということです。特に、経団連に名を連ねるような大企業が「新卒一括採用やめない?」と先鞭を切らないことには、無能な社会人が増えていく一方でしょう。

忘れちゃならないのが、教育や社会福祉の目的が「日本全体を豊かにすること」であることです。

「私達の時代は自分で金を払ったのに、今になって教育無償化なんて不公平だ!」なんて意見に耳を貸してはいけません。能力のある子どもは社会全体でサポートして能力を伸ばして将来高度な仕事に就いてもらうことで、社会全体に利益が還元されるのですから。さらに、少子化の歯止めという点で二重のメリットがあるわけですよ。

ただし、です。

 

一番要らないのは大学

くどく申し上げますが、かなりの割合の人にとって大学は必要ないでしょう。4年間遊ばせるために税金なんて使う必要はないと思います。ただ、それでも大学入学が必要な人(実際に大学での学習や研究が実になる人)もいて、そこは偏差値で区別してしまいましょう。偏差値70以上なら2割相当負担、60以上なら4割相当負担、とか。

さらに言えば、大学って「卒業」する必要あるの?という視点も必要でしょう。企業は就職希望学生に「大学で何を学んだか」なんて気にしてないでしょう。とりあえず、しかるべき学力を持つかどうかを見ているだけで、だったら共通テストや入試の時点で基本的な査定は終わってるはずなんです。卒業したかどうかは、「決められたことを持続的に守れるか」といういわば日本人らしさを見ているわけですね。実に不健全です。

大学は、高度な学習および研究をする、柔軟な知性育成機関であるべきです。例えば「学部」「学科」のさらに下に特定のカリキュラム群を設けて、学習(研究)する意味を持たせる。資格取得のための条件にしても良いですね。「A大学〇〇学部〇〇学科の〇〇カリキュラム」と「B大学〇〇学部〇〇学科の〇〇カリキュラム」を同時に履修したって良いわけです。履修資格は共通テストの成績で決めれば良くて、提出したレポート・論文は全て電子化(クラウド)しておく。企業は作用試験の際に必要であれば自由にそのレポート・論文を閲覧する。これで学歴は「学習履歴」という意味のあるものになります。

こういう大学のスタイルを実践している一例が放送大学です。他の大学も同じようにやれば良いし、そのためには企業の採用方式を変えなければいけません。場合によっちゃ就職後に大学の聴講を企業がサポートするってのもありでしょう。

このような運営に切り替えると倒産する大学が続出するでしょうが、そういう大学は「職業訓練所」としてやっていけば良いのではないですか?

 

高校はどうする?

以前に、維新(大阪府)の私立教育無償化についてnote記事を書きました。

要旨は、

●まず今の教育無償化の潮流を作ったのは維新であり、このことについては最大限に賞賛されるべき。
●ただし、「無償化」というキーワードにこだわるあまり、「キャップ制」という少々野蛮なやり方を選んでしまったのはよろしくない。

というものです。「キャップ制」とは、「私立高校もちゃんと十分な補助金出してやるから、代わりに補助金以上の授業料は取るな、そこは学校側が負担しろ、できないなら制度そのものに参加できないから、そこんとこヨロシク」というもの。

実はこの後めっちゃ文章書いたんですが、操作ミスでぶっ飛んでしまいました。ということで、詳しくはnoteの方を読んでください。

大事なポイントは「高校とは何のためにあるのか」という議論がほとんど見受けられないというところです。維新(大阪府市)は、行政で行う事業の可能な限りの民営化あるいは、業者を募って入札にかけて外部委託という手法によって業務の合理化を図り、財政健全化に成功しました。これ自体は素晴らしいことです。しかし、教育と言う事業をその他の事業と同じように扱うべきかどうか。「教育無償化」というパワーワードにこだわるあまりにやり方が雑になってしまったのではないか。…という指摘です。

私は、「教育バウチャー」という先人のアイデアを今こそ本格実践すべきだと思うのですが、維新は維新で今のやり方が完成形だとは思っていないでしょうから、今後どうアレンジされていくのか注視したいと思います。

 

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