犬の話から、「罵倒は批判ではない」という話

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お寄せ頂いたコメントについて

「犬のしつけに主従関係は要らない!」という妄言。

この記事についての補足や、この話題から派生するさらなる話題なんかがいろいろありすぎてどこから書こうかと迷っているんですが、ちょっと犬の話は本題からずらします。

っと、その前に。
ネタにさせて頂いたこちらのブログ『犬と笑えば』に、当ブログについてのフォロー記事が投稿されているようです。内容はさておき、批判記事に対して応答するということ自体には皮肉なしに敬意を表します。今後は、「筆者さん」などではなく、お名前を表記させて頂きます。

オキシトシンの話

さて本題。
と言っても、コメントに応答することそのものが趣旨ではありません。それなら直接コメントを返します。私の不正確な用語のご指摘にはブログ筆者として対応させて頂きましたが、それ以外のご批判には「応答責任のないもの」として、ここであくまで独り言として書かせて頂きます。

さらにもう一つ断り書きですが、ここで書くことは“反撃”では決してありません。私の昔からの関心事である、人間の心理学のネタとしてこの上なく相応しいものなので、取り上げさせて頂くだけのことです。

お時間のある方には、私が以前に書いたこの記事を読んで頂きたく思います。

シャーデンフロイデとは~人の不幸は蜜の味~ | 新・知の小人ブログ

本当の議論は難しい…

まず話の前提として、私は相当な年寄りでして、日本で一般向けインターネットが始まるはるか昔、具体的にはNIFTY-Serveの頃からネット言論に触れてきました。本当はさらに昔の「草の根ネット」なんて時代から知ってるんですが、この言葉自体なかなか通じなくなっておりまして…。

んで、これはこれで割と大ネタになるのでかいつまんでお話しします。
ネット上で意見を主張したり議論したりするという行為は、その労力のうち「正味の議論」は3割程度と言ったところ。あとは、「議論のために必要な用語の整理や前提知識の説明」=プレ議論や「議論とは何かという議論」=メタ議論、そしてアドレナリンが過剰に分泌されるタイプの人、論理より感情優位になってしまう人への対応に労力を費やすことになるわけです。

何が言いたいかと言うと、
・私はすでに悪口を言われても何も反応しない不感症になってしまっている。
・「議論」と思われるやり取りのうち、その多くには中身がない。
ということです。

「コソコソ批判」とは?

ではコメントを拾ってみましょう。

「コソコソ批判してねーで直接もの申せよゴラ!!」

私の書いた記事が「コソコソ批判」とのことですが、公開ブログに対し、それを引用する形でこちらも公開ブログで書いており、さらにツイッターで通知もしています。つまり、コソコソなどしていません。あれだけ長大な記事をコメント欄に書けということであれば、それは非常識というもの。

ツイッター眺めてればよく分かるんですが、リプ送ったら送ったで「クソリプ」呼ばわりされた上にブロックなんかされるし、エアリプしたらしたで「コソコソするな」と言われるんです。要するに、気に入らないものは何やったって罵倒されるわけですよ。

そもそもです。
ブログを公開するということは、誰かに読んでもらい、高評価か低評価はともかくとして、批評してもらってナンボ、ではないですか?わざわざ世界と繋がってるインターネットに公開するというのはそういうことではないのでしょうか。

引用元を明示してそれを批評するというのは、引用元をひとつの表現として認めるということに他なりません。

直接言わないから「コソコソ批判」になるのであれば、「スターウォーズは面白くない」と言う意見もジョージ・ルーカス宛に手紙を書かなくてはいけないことになります。

言うまでもないことですが、家族と親戚と愛人しか読んでいないと思い込んでいた当ブログにコメントが付くことは大歓迎です。私の知らないどこかで褒めてもらおうが貶してもらおうが、それも大歓迎です。そのために書いているのですから。

「カス」「頭が悪い」

インターネットの誕生以前からネットを観察してきた立場からしますと、この手の罵倒の仕方は多分、2ちゃんねるが作り上げた文化なんですよね。気に入らない論者を罵倒するなんてのはパソコン通信の時代からあったんですが、Niftyなんかは本名が強制公開されてた時代もあったし、そうでなくなっても“コテハン”だったので、こういう小学生みたいな罵倒なんかなかったわけです。

インターネットの時代に入っても、BBSやメーリングリストが言論空間のメインストリームだった時代は割と平和だったのですが、2ちゃんねるが誕生するや、言葉を発するなら罵倒しなきゃ損!とばかりに酷いフレーズを使って敵対論者に悪罵を投げつけるという文化が出来上がりました

その後、mixi、facebook、ツイッターといったコテハン文化が戻り、下火になった2ちゃんねるでは、かつての罵倒擁護は一種の合言葉やギャグみたいなものになっていますが、未だに「ガチ勢が残した文化の継承者」みたいなのがいるわけです。まあ、負の遺産といったところでしょうか。

やっぱりお仲間だったんですね

さて、これらの反発コメントは4件同時に頂いたのでそんなことだろうとは思っていましたが、当該ブログのブログ主である瀧沢かいるー氏に諫められたとして、「他4名」という名義でお詫びのコメントも頂きました。

要するに、信者……いや、支持者の方々だったわけですね。
で、滝沢さんに注意されたので全員揃って謝りに来ました……って、職員室に来た小学生か!!

…というツッコミの前に、当ブログの読者さんならツッコミたくなるのは、

「めっちゃ完ぺきな主従関係ですやん!」

というところではないでしょうか。

子分「親分が非難されてる!お前ら行くぞ~!突撃~~!!」

親分「やり過ぎですよ、その辺にしておきなさい」

子分「へ、へぇっ!親分」

非のうちどこのないガバナンスです。

彼らは紛れもなく群れであり、そこには強固な主従関係があります。

親分と意見の違う者に対しては、質問でも意見交換でもなく、暴力による攻撃。(犬には褒めてしつけるのに…)

返す返すも断っておきますが、彼らを吊るし上げるなんてことが目的ではありません。このことがあまりに私のかねてからの関心事に合致するからネタにさせて頂いているだけのことです。

冒頭で紹介した私の研究テーマの、面白いほど相応しいサンプルになるので取り上げさせて頂きました。

すなわち、「人間の社会性とその副作用とは何か」「人間はオキシトシンに支配されている」ってなことです。
人間は賢いようでまだまだ愚かで、自らのことをなかなか客観視できません。群れとしての秩序を守ろうとするあまりに、論理やモラルに対し盲目になり、それが悪いことだと自覚することなく「ユダヤ人を殺せ」とか「あいつは在日だから口を聞くな」とか「健康のためなら死んでもいい」とか「差別主義者は一家まとめて差別しよう」なんてめちゃくちゃなことを言い出すのです。

おまけ

そして、ここから大きなお世話の老婆心です。
聞くか聞かないかはあなた方次第。

まず、私があのような挑発的ニュアンスで記事を投稿したのは、瀧澤かいるーさんの当該記事こそに、自分と考え方の違う主張との対立構造を短絡的に作り出し、かつその対立主張へのディスりのニュアンスを強く感じ取ったからです。

私がこのブログで語気を荒げるのは、熟考なしに一見分かりやすい結論を支持する大衆であったり、論理も根拠もなしに理論もどきを展開したり、酷い場合は犬の飼養経歴もないのに犬の専門ブログのライターをやってたりする言論に対してです。

方法論と言うよりはイデオロギーに近い原理がベースにあって、そこから作られる例示にも矛盾が生じている。

「犬がリーダーになろうとする心理」と「犬がリーダーになる」ことをごっちゃにして、「リーダーになるならまず猿だ」という展開は、もはや文学でしょう。

「主従関係」や「虐待とは何か」と言ったことについてはまだまだ書き足りないことがありますが、それはまた後日として。

ああいうコメントを残すということが一体何を生み出すか、誰が得をして誰が損をするのかを考えるべきではないでしょうか。当ブログだって得をすることはありませんが、瀧澤さんの論説に対するイメージが良くなるかと言うと、これまた全くの逆効果になるはずです。あー、こういう人達が支持してるのか、と。

当然ながらコメント投稿者がどういう人達なのか私は存じあげる由もないのですが、後から「瀧澤さんにたしなめられました」と書く前に、「自分たちが瀧澤しつけ理論の支持者であり交流を持つ者である」というくらいの素性は明らかにすべきでしょう。

もし中学生や高校生ということであれば、こういう書き方が甘えであることを自覚し、是非勉強して頂きたいものです。

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